鳥居が根の峠
(高根山:225.6m)
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◆岐阜県多治見市に伝わる民話『首切り地蔵』の舞台は 高社山麓の農免農道の何処かだろう?と漠然と思っていたが 昔、この辺りは山の中 お百度参りとは言え奥深い山中では無理がありそう。美濃一人さんも色々調べておられ首切り地蔵のあった場所は『勤労者センター駐車場』と教えて頂いた。Google
Earthで見ると住宅が密集している。様変わりしていてもやっぱりその地を踏んでみたい。と出掛けた。 民話『牛岩』の舞台 高根山も近いから寄ってみようかな。(もしそれらしい岩があったら感激だろうが・・・・こちらも事前に分かってしまった。) |
<Approachi> 春日井→R−19→多治見→R-248 |
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2019/07/04(木) 曇り |
単独山行 累積標高差m 沿面距離km |
ルート |
春日井(10:32)→R-19→多治見→勤労者センター(11:30)→牛岩様(13:03)→高根山(13:45)→ |
脇之島金山(14:29)→愛岐道路→春日井(15:24) |
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はっきりしない天気続き R-19からR-248を走り勤労者センター到着 駐車場へ入り暫く周りを眺め 少し先で農作業の方がおられたので訊ねてみると地主の方で『ワシはようわからんが・・』とのことで 少し話をして駐車場へ戻りウロウロ 2〜3枚写真でも撮ってと思っていたら 先ほどの方が来られ『オヤジに連絡したら来るとのこと』 で少し待ってから・・・・・・・・いろいろ話が聞けました。昔の地図もあるそうで見せて頂けました。(94歳と高齢でしたが運転するし全然ボケていない元気な方でした。先代が『翁のたわごと』という本を出している。) |
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聞き取りと『翁のたわごと』から
首切り地蔵の話は昭和5年に友人の坂崎文雄君が書いたものです。(これを書くと夢・ロマンが壊れそう) それ以前の話 ”西濃から逃げてきた武家の奥方がここで追っ手に殺されその霊が迷って出るのでここに地蔵(後の首切り地蔵)を立てた”とのことです。その地蔵のあった場所はセンターの奥(駐車場の東端)で 今、草が茂った少しの間に下から上がってくる道があった。ここには大きな石の鳥居があり高社神社の遙拝所でもあった。旅人は高社様をここからお参りしたといわれています。その後鳥居は高社山に移転された。 (あッーあの登山口の鳥居だ!移転されたものなら登山口に何らかの標記がほしいなー。) 『鳥居が根の峠』の名もこれで納得できた。『鳥居が根』は通称でここの字は小家洞(こやぼら)隣は豆田・横座と呼んでいたがもう使われなくなった。明治の頃は首切り地蔵祭りが年2回(1/24・7/24)行われ土岐郡・可児郡や尾張からも参詣者が続き露店も並んで賑やかだったようです。祭りは大正中期まで続きました。・・・・・ん、ということは地蔵設置(武家の奥方だから江戸期かな?)は古く 首切り地蔵祭りも民話以前のことだったんだ。 |
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右:久々利 左:太田道 |
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正面:勤労者センター |
古道?正面左上が勤労者センターかな? |
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古地図(小家洞) |
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団子橋?今もあるんだろうか? |
・鳥居の位置は聞き洩らしました。古道を辿りセンターへと思ったが草が茂って進めなかった。帰宅後絵図にある寺・神社等を現代図で調べたら安養寺・寿教寺・元昌寺 ほとんど出てきた。団子橋もありました。 |
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高根山へ向かい まずは『牛岩様』探し 住宅街の中にありましたがもとは後ろの下方にあったようです。非業の死を遂げた『与助』に想いを馳せお参り後高根山へ |
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
及び数値地図50メッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第198号)」 |
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根本小学校の前に駐車 木製の階段を上がって右折 次の分岐で左折登っていくと アッという間に高根山々頂 展望台へ上がるとほぼ360°の展望 この標高でこの展望は中々ない。下山は北側が良さそうでアンテナ塔の横から入ってみた。(これは間違い) グルーっと一周というわけにはいかず すぐに往路の分岐に着いた。小学校から賑やかな声が聞こえ後にした。 |
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金山(きんざん) R-248まで戻り中央線・土岐川を越え愛岐道路へ入る。後続車あり目標を一度過ぎて戻り道の膨らみに駐車 標識《47km》まで戻り金山跡へ 洞手前は草が茂り気味悪い フェンスあり雨後で濡れており中へは入れなかった。 |
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金山跡 |
金山跡 |
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そもそもここは駐車場所がない 通過する車・ダンプは結構飛ばすのでお勧めできない。(道路歩行も危険)早々に引き上げ帰途に就いた。 (でも ヒョッとして採り残しの金が・・・・ と浅ましい気がよぎる) |
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◆鳥居が根の峠の場所から地蔵の立っていた位置まで判明 明治・大正に首切り地蔵祭りが行われていたことや鳥居の移転の話は驚きでした。民話については夢がぶっ飛んでしまった(もっと古い話と思っていた)がこれも現実かな?でも得られた情報の方が大きかった。 |
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