椿谷
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廃村巡りだけではと 林道歩きを加えてみた。椿谷への林道は舗装されているが長い。(それだけ山深いと言うことだろう。) 緑映える森・沢音・小鳥のさえずり・飛び交うコバルトブルーの蝶 思った以上の自然が感じられる。奥の林道は錯綜しておりルートを凝らせば楽しめそう。山名・三角点にこだわりをもつ人には見向きもされない山域かも?(何故かこの辺は三角点がない。円原と離れた椿くらい) 
 <Approachi>  春日井→坂祝バイパス→関→千疋大橋→R-418→美山→笹賀
  2017/07/22(土)  晴れ 単独山行    累積標高差507m  沿面距離5.2km
ルート 笹賀(9:30)→車止(10:30)→分岐(11:20)→林道終点(11:49)→分岐(12:30)→車止(13:02)→分校跡(13:45)
椿谷T 7/22
椿谷U 8/31
椿谷V 9/13
椿谷W 9/18
椿谷X 10/9
椿谷Y 10/16
GPS軌跡
カシミール3D
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
及び数値地図50メッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第198号)」
椿村について簡単に説明(と言っても受け売りです。)場所は山県市 R-418沿いの笹賀から山側へ7.3km 人家分布図によると67名記されているが世帯数としては40数軒だったようです。(人の出入りあり) 分校跡の碑には明治6年〜昭和46年とあります。笹賀をはじめ谷合・日永・西洞と往来があったようです。(西洞への道など あれば辿ってみたい気がします。) 『分校の先生』について話が聞けた。僻地で教育熱心で愛情一杯の先生なんて映画やTVドラマの中の話でトンデモナイ先生もいたようです。 長野県の小川路峠(別名:辞職峠)の事が思い出されました。ここもそれ程過酷だったと思います。椿谷の上部の地名を『大般若開き』という。
Map中の青破線の山道・林道は未踏。他情報による推定です。
  
・3年前 茶磨山を探していた時 この椿に集落があるのは知っていたが 廃村とは思わなかった。S.46年全住人離村とある。奥深い山間の集落だ。歩く所には事欠かない。適当に林道を歩いてみようと出掛けた。
 
人家分布図 阿賀多神社
笹賀へ着き山側へ 林道へ入るとすぐに沢沿いとなる。昨夜は大雨だったようで路面は濡れていた。渓谷の雰囲気はいいが湿気っぽい感じがした。暫く走ると椿村人家分布の碑(こんなの西洞にもあったナー)に到着 すぐ先に阿賀多神社 歴史を感じさせるいい雰囲気 寄るのは帰りにしよう。
 
廃屋 道標(右日永と何かなー?)
幾つかの橋で左岸・右岸と渡る。時々廃屋・墓が見られる。しかし大きな平地はなく民家は沢沿いに点在していたようである。神明社の先に分岐あり 道標には『右日永及??』・『左区内?北??』(左 椿地区内経由北山かな?)とあった。
ここは左折進むと少しで右山側に伐採地が広がる。左に10基の墓を過ぎ ダートになると少しで進めなくなった。林道は左山側へ続いていたが進入の可否は不明 少し戻り分岐手前に駐車 身支度後スタート 橋手前の北側へ延びている林道へ入るとすぐにゲートを越える。1名重機で作業中 機械を止めて私の相手をしてくれました。山主の方(のようす)で郡上から通っているとのこと 上の情報を頂き進む。林道歩きと言っても結構な登りが続き息が上がる。地形図で見ても250mH以上ありそう。時々真っ青な蝶が見られた。  
墓地向かいの伐採地
 
ミヤマカラスアゲハでしょうか? 途中展望(左端に三岐幹線158鉄塔)
上部の分岐着 直進と思われたが草が茂っている。様子見で左の良い道を進んでみた。ここにも重機と軽自動車があった。先程の分岐まで戻ると先刻の方がキャタピラの音を響かせながら上ってきたので林道の確認をするとこちらはここ数年入っていないので荒れているかもとのことでした。
 
分岐(予定は直進) 林道終点(尾根取付き?)
草は茂り湿気っぽい 途中足の点検をすると靴に一匹付いていた。林道は太めの倒木3ヶ所 山側2ヶ所 谷側1ヶ所崩れあり 歩くには問題ないが車は無理だ。林道は荒れている分自然っぽくていい そのうち林道終点到着 主稜線へ向けて良さそうな斜面が見えていた。多分尾根まで100mH前後の登りだろう。ここで左足に異変を感じ 見ると靴下の上から吸い付いてきた。まさに吸われる寸前 靴下から中々とれず バッグから塩を出し 振り掛けてやっと離れた。(降ろしたバッグに付くこともあるので塩は取り出し易いポケットに入れた方がよさそう。) せめて主稜線までと思ったがこれで戦意喪失引き返すことにした。(稜線まで行くと暴走しそう)いい運動になったし精神も多少は癒されたであろう。のんびり下山 再度山主さんに出合い礼を言って別れた。
 
分校跡ブランコ・ジャングルジム 分校跡石碑
車まで戻り移動 道標の『右日永及??』へ入ってみたが先の分岐で160番鉄塔方面はゲートで入れなかった。帰路分校跡へ寄ってみたが茂って上がれず 錆びたブランコ・ジャングルジムがノスタルジーを誘う。阿賀多神社へお参り後 椿村を後にした。
N氏から写真をお借りできました。 
 
椿文教場(昭和初年) 建て替え後
◆昭和初年時1〜6年生で4・50人 1人の先生から学んでいた。校舎は校庭の右端(北)にありました。         
◆思った以上の累積標高差 普通の山行と変わらない位だ。 やはり暑かった。涼しくなったらまた来てみたい。 
◆後日ネットで「よっこら」さんの円原の項(2009/11)で峰山々頂に「大般若」と書かれた山名標の画像を見た。  あーあのオヤジが言っていた名だと嬉しくなりました。  山名標の名前に武藤(椿の石碑設置者) 中原(椿で多い名前)は偶然なのか? ひょっとして椿から登ったのかも知れない。
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